安らぎの在処



 その時間の蛙屋は閑散としていた。
 夕食というにはもう遅く、長い夜の始まりにはまだ早い。そんな中途半端な時間帯、当然と言えば当然なのかもしれない。
 そんな静けさの中で、ラス――俺は、壁際の卓でエールの入ったジョッキを傾けていた。
 渇いた喉をエールが通り抜けていく。この美味さを共感できる奴は多いだろう。
 一口で半分ほど飲んで、一時の至福を味わいながらジョッキを置いた。そして、再び人のいない店内を見回す。
 マスターはエールと簡単なつまみを出した後に裏へと消え、クラレスも休憩中なのか姿が見えない。女将さんは子供の世話ってところだろう。
 そして、客は俺一人。
「閑古鳥が鳴いてるな…大丈夫なのか?この店」
 冗談混じりにそんな事をポツリと呟く。声に出しはするが、自分にしか聞こえない程度に、だ。
 ジョッキを取ろうとおもむろに手を出した、まさにその時だった。
 目の前を何かが通り過ぎ、良い音を響かせて壁に突き刺さる。伸ばしていた手に汗を滲ませながら、目だけ動かしその"何か"を確認する。
 …ナイフだった。その刀身にはメモが貫かれた形で付いている。
『余計なお世話、ですよ』
 ……いかにもと言わんばかりに、マスターらしい行動だった。どうやら地獄耳って噂は本当らしい。
 気づけば潤したばかりの喉が、すでに渇いていた。気を取り直して、残ったエールを一気に飲み干す。
 エールを呑む音、ジョッキを置く音…自分のたてる1つ1つの音が、イヤに大きく聞こえる。
「ホント…静かだな」
 日頃騒がしいせいか、一層静かに思えるんだろう。静か過ぎて…それが寂しいと感じる程に。
 寂しい?この俺が?
 思わぬ感情に自分を疑った。けれどその感情は、間違いなく自分の中から出てきたモノ。
 認め難いが、否定はしなかった。それは、久しく忘れていたモノでもあったから。
 オランに滞在して1年。たったそれだけの時間で、俺は変わったようだ。いや…取り戻したと言うべきなのかもしれない。
 寂しさ、悲しみ、情け。そんな誰にでもある感情を捨てなければ、あの場所では生きていけなかったから。
 脳裏に焼き付いている、故郷ファンドリアの記憶。楽しい思い出なんて、ないに等しい。ただ、それがきっかけとなったのか…いつしか周囲の光景も目に入らなくなり、意識は記憶の糸をたどり始めた…。


「…ん……さん……ラスさ〜ん」
 聞き覚えのある声と、頬を引っ張られる感覚が、意識を今に引き戻す。気づけば黒髪の青年が青い瞳で覗き込むように俺を見ていた。
 そう、ウィンドだ。わざわざ卓に身を乗り出してまで伸ばす手が、俺の頬を引っ張ってるのは自ずと理解できた。
「うぃんほ…あにしゃがう」
 何しやがると言いたかった。が、左右の頬を引っ張られてたら、上手く喋れないのは当たり前。
 それでも意味は通じたのか、その言葉に笑顔を返してくる。
「ラスさん、何言ってるかわかりませんよ?」
 …やっぱ通じてなかった。こいつに期待した俺もバカだったかも。
 無言のまま1つ溜息をついて、ウィンドの額に素早くデコピンを放つ。
「イッ、イタイじゃないですか〜…ヒドイですっ」
 卓に身を乗り出してる上に、両手も塞がってれば避けようがあるまい。ようやく頬を離した手で、ウィンドは赤くなった額を擦る。
 その間に抗議の声を上げながら批難の目を注ぐその様は、まるで自分は悪くないと言いた気だ。
 いや、本人にそんな意図はないんだろうが、俺にはそう感じていた。
「酷い…ねぇ?今更、だろ」
 もう一発お見舞いしてやろうかと思ったが、気配を感じ取ったかウィンドも一歩身を引いて距離を取る。訓練場なら追いかけまわすところだが、いかんせんここは店内。そう考えると、やる気が一気に失せていた。
 ウィンドは未だ警戒したまま、怪訝そうに俺の顔をじっと見ている。
「あんだぁ?俺の顔に何か付いてるか?」
「いえ、その…もしかしてラスさん、私のこと嫌いです?」
「あぁ、嫌いだ」
 恐る恐る尋ねるウィンドに対して、きっぱりと即答する。
 いや、もちろん嘘…でもねぇか?天邪鬼だかんな、俺は。
「そ、そんな即答しなくたって…」
 卓に手をついて、ウィンドはがっくりとうな垂れる。あまりの予想通りの反応に、心の中で大笑いしてるのには気づくまい。
 もちろん俺も、顔に出さないようには注意してる…が、どうやら持ちそうにない。
「……クックックッ、冗談だ。嫌いではねぇよ。だからって好きとは違うと思うが…で、何でイキナリそんな事訊くんだ?」
「……また騙されました。本気でどうしようか悩んだのに…やっぱりヒドイです。悪人ですっ」
 しばらく呆然とした後、憮然とした顔で批難の声を上げるウィンド。少しタチの悪い冗談だったと認め反省する反面、その覇気のなさが妙に可笑しかった。
 悔しそうにしながらも、不承不承にウィンドは言葉を続ける。
「すぐ叩いたり、からかったりするじゃないですか。それに…話してても楽しく無さそうなんですよ。知ってます?ラスさん、こんな風にずっと眉間に皺よせてるんですよ」
 ウィンドは自分の眉間に指で皺を作って見せる。それが妙に滑稽で、つい吹き出してしまった。
「ど、どうして笑うんですかー!?」
「ははっ、ワリィワリィ。その顔が面白くてつい、な。しっかし…んなつもりはねぇんだけどなぁ?だとしたら、もう癖だな」
 決して意識してやってる事じゃないのは、自信を持って言える。考えてみれば、この癖もガキの頃に馴染んじまったもんかもしれない。
「クセ…ですか」
 納得しにくそうに呟くウィンド。笑顔でいる事の多いウィンドには判りづらいのかもしれない。誤魔化されてるんじゃないかっていう懸念もありそうだが。
「えっと、クセだとして…疲れません?なんだかいつもそんな顔してるんで、どこで息抜きしてるかも気になるんですが」
「疲れないかって訊かれても…癖だからなぁ」
 そういえば俺…どこで息抜きしてるんだろうな?
 心配半分、興味半分といった顔のウィンドに苦笑いを返しながら、内心で自問自答する。
 ギルドの仕事中、冒険者の仕事中、酒を呑んでる時、独りでいる時……あぁ、そっか。
 思いつくものを並べ立てて、初めて気付く息抜きの場所。それは何てことない、日常的にあるモノ。
「ラスさん?」
 急に黙り込んだせいか、ウィンドが心配そうに声をかけてくる。それでも近づいて来ないのは、さっきの例があるからだろうか。
「あったよ、息抜きできる場所」
「えっ、どこです?」
「ここさ」
 下を示した指の先を目で追った後、ウィンドはいまいち理解できないと困惑した表情浮かべて、俺に向ける。
「ここって…蛙屋って事ですか?」
「それ以外に何があるよ?まっ、俺も今気付いたんだけどな…どうやら俺は、お前を含めここにいる奴らと話してる時が一番落ち着けるらしい」
 正直、俺も意外だと思ってる。けど、それは紛う事ない事実。
 ここで初めて、会話する事に楽しみを感じたから。ここが唯一…バカでいられる場所だから。
 ファンドリアでは無かったモノがここにはある。だからこそ、俺は変わった…いや、変われたのかもしれない。
「何だか意外ですけど…そんな風に思われてるってわかると、嬉しくなりますね」
 ウィンドは顔に笑みを湛えた。それはそれは嬉しそうな笑顔。あまりに嬉しそうで……。
 苛めたくなる。
「まっ、お前は嫌いだけどな?」
 あっ…固まった固まった。
「人が感動してる時に、どうしてそういう事言うんですかーっ!!」
 ウィンドの悲痛な叫びが蛙屋に響き渡る。もちろん俺は、それを笑って誤魔化すだけ。
 そんなやり取りを交わしていると、誰かが階段を下りてくる音を耳にして、視線を移す。
「よっ、おはよーさん。二人とも早いな」
「やほっ♪」
 階段から挨拶を飛ばしながら、いつもの二人が寄り添って降りてくる。二階も随分騒がしくなってきた。
 蛙屋の賑やかな夜が今、始まりを告げようとしている…。





・あとがき
 さて、某狐のPLの朱皇 悠がお送りするSS第2弾。いかがでしたでしょうか?
 ひとまず、ご拝読いただいた方々に深くお礼をさせていただきます。
 どうもありがとうっ。
 え〜…今回は某らぶ…げふげふ…いえ、ウィンドのPLさんのリクエストから書き上げた物です。
 その題材が…狐が和むところ。正直難しかったです。(苦笑)書き手が和むの定義に苦しんだぐらいなので。(笑)
 最終的には和む所と言うよりも、狐が何に対して和んでいるかを書くことにして、こういう形となりました。
 ガルフォードPLさんのSSのほのぼのした感じが素晴らしく、対抗を試みたものの…私のSSでは太刀打ちできない…。(くっ←苦手なんだ…/苦笑)
 要精進です。(笑)

 最後になりましたが、お礼をば。

 リクと共にウィンドを貸してくれたPLさん、事後承諾になってしまったマスター、フェイ、パールのPLさん。ありがとうございます。
 そしてご拝読いただいた方も、本当にありがとうございました。(ペコリ)
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