「まいどっ、また来いよ」 「あぁ…」 酒場の主人に素っ気無く相槌を打って扉を閉める。外はイヤに冷え込んでいたが、酒で火照った身体を冷ますには丁度良く、気持ち良くも感じた。 俺の名は、ラス=フォックス。『賢者の国』と詠われるここオランに滞在し、冒険者を生業にするケチな盗賊だ。 今はその首都にある常闇通り、その一角にある店の前にいる。オランに流れ着いて1年、すっかりこの店の常連となっちまった。 「1年…」 そっか…もう1年も経つのか。 振り返った先にある閉ざされた扉を一瞥し、それからゆっくりと歩き始める。 「つ〜…頭いてぇ…」 一歩一歩進む度に、鈍器で殴られたような痛みがこめかみ中心に何度も響く。今日は本当に呑み過ぎた。そう認めざるを得ない無茶な呑み方もしていた。 だが、別にそんな呑み方しか出来ないわけじゃない。俺だってできるならちびちびと静かに呑んでいたかったんだ。 とはいえ、周りが放っておいてくれない。特に、あの店は。 『酒飲みのラス』と言えば、顎の外れた蛙亭―通称、蛙屋ではそこそこ有名だ。そこに停泊する者や常連にはその名が知られているし、俺自身も認めている。が、それでもせいぜい蛙屋の中だけのものだと思っていた。 だが、世間ってのは案外狭いもんらしい。どこから聞きつけたのか、あの店でも呑み比べを挑んでくる奴が出始め…。それからというもの、店に顔を出す度に挑まれる始末。 酒場の主人も止めてくれればいいものを、「いや、良い名物が出来た」と笑っているだけ。 断ればいい気もするが、どうも売られた喧嘩を買わずにはいられない性格らしい。結局のところ、自業自得なのだ。 「…はぁ、とっとと戻って寝ちまおう」 ゆっくりとした足取りを、少し早める。もちろん頭痛は激しさを増すが、それでも我慢できない程じゃない。 静寂に包まれた人気のない通りを、ただただ早足に歩く。頭の痛みからか、それとも酒が回っているからか、何も考える事なく…ただぼんやりと。 どれぐらい歩いただろう。狭い路地が交わる十字路に差し掛かって、ふと足を止めた。 視界の上から下へと、白い何かが舞い落ちたから。立ち止まったまま、ゆっくりと顔を上げて空を仰ぐ。 「…どうりでさみぃはずだ」 雪が、降っていた。雲一つない夜空から…ちらほらと。 何故だろう。ふと、寂しくなった。まるで全てに置き去りにされたような、そんな感覚。 この感じ…昔どこかで。 「あぁ…そっか。そういやぁ…」 あの時も…雪が降ってたっけな。 不安、寂しさ、そして孤独。その全てを抱えながら、独りで生きる事を余儀なくされたあの日。 …初めて鮮血で手を染めた日。 「けっ、らしくねぇ。雪なんて降っから…思い出しちまったじゃねぇか」 顔を伏せ、自嘲するような笑みを浮かべる。忘れたと思ってた。けどそれは、思い出さないようにしていただけかもしれない。溢れ出る記憶、それは鮮明な映像。噴き出す鮮血が全てを朱に染め、温もりを失い冷たくなってゆくだけの身体。それでも変わらない…。 「っ!?」 急に感じた人の気配に顔を上げる。その視線の先にいたのは、路地を挟んだ対面で立ち尽くす一人の少年。 その少年を凝視したまま、俺は息を呑んだ。あまりに…様子がおかしかったから。 暗がりでも目立つ少年の銀髪を、微かに吹く風が揺らす。ツリ目がちな切れ長な瞳が目つきを悪く見せた。 何の変哲もない少年だ。 ただ、それだけなら。 右手に握られたナイフ、それに手や服もそう。月明かりが深紅にそまったそれらを照らす。 …血だ。少年がケガをしてるように見えない事から、おそらく返り血。 だがその異様さに驚く反面、不思議な事に気づいた。 俺は、このガキを知っている。 「どうした、坊主」 気づけば俺は声をかけていた。その声に反応して少年はゆっくりと顔を上げる。虚ろな瞳で俺を、次いでナイフを見つめ、呟くように口を開いた。 「親父さんが…死んじまった。ううん、俺が…殺しちまった。この手で…たった一人の、家族だったのに…」 少年の抑揚のない声からは、その感情は読み取れない。いや…一つだけわかる。それは、自分自身への怒りや憎しみ。何もできなかった、自分への…。 「だがそいつは、その人が望んだ。お前のせいじゃねぇ」 見つけた時には、もう息も絶え絶えだった。苦しむくらいなら、いっそ楽に死なせてくれ。喋るのも辛いくせに、あんたはそう言ったんだ。 少年は唇を噛みながら、悔しそうに頷く。頭では理解できていても、感情がついてきていないのだろう。 「俺を超えたいなら独りで生きろ。その為に…殺せって。親父さんは…そう言ったよ。でもっ…それは本当に必要な事だったのかな…?」 「あの場所は…殺らなきゃ殺られる世界だ。そこに棲む奴は、生きる為ならなんだってする。…弱肉強食ってヤツだ。んな所で、人も殺した事もねぇガキが生きてけるわけねぇだろ」 欲望の渦巻く街。闇に潜む敵意。それは獲物を狙う獣のよう。そんな中で生きてこられたのは、その術を教えてくれたあんたのおかげさ。 「そうまでして…生きる意味はあるの?」 少年の虚ろな眼差しは、今も変わらない。ただひたすら自分が許せなくて、生きている事すら放棄したい。そんな感じに見える。 「わかってねぇなぁ…その親父さんとやらは、そうまでしてお前に生きて欲しかった。だから、犠牲になったんだろうが。…まっ、実際楽しいこともつれぇ事もあったが、俺は後悔してねぇぜ」 死のうと考えた事がないと言ったら嘘になる。けど、んな事したらあんたに怒鳴られかねねぇからな。 「…最後に訊かせて」 「…ぁん?」 少年は、俺を真っ直ぐ見つめていた。自分の行く先を俺に託すかのように。 「俺がした事は…正しかったのかな?」 「…さぁな。そいつが正しいかなんて、俺にだってわかんねぇよ」 少年の表情は陰り、その瞳に諦めの色が滲む。が、俺の言葉はまだ終わっちゃいない。 「ただ…」 「…ただ?」 「最後まで、もう動くことがなくなっても、親父さんはずっと笑ってた。そいつが…答えなんじゃねぇか」 白い雪…紅い雪…白から緋色に変わる雪。 噴き出す鮮血が全てを朱に染め、温もりを失い冷たくなっていくだけの身体。それでも変わらない…。 親父さんの安らかな微笑み。 「そうだね…そう、だったよね」 少年は目を細めて、今まで見せなかった笑顔を見せる。何かを納得したようにそっと。 途端、風が吹いた。思わず目を閉じてしまうような、強い風が。 次に目を開けた時…もう少年の姿はなかった。静寂に包まれた狭い路地に、俺だけが立っている。 おもむろに、自分の頬をつまんでみた。もちろん、痛い。 「………狐につままれた気分、だな」 思わず、苦笑いしてしまう。そして、空を見上げた。宙を舞っていたはずの雪は止んでいて、星を散りばめた夜空だけが広がっている。 「へっ、じゃあな。昔の俺…」 空を見上げたまま、ゆっくりと歩き出す。向かう先は、ただ一つ。 消える事のない罪。やり直しの利かない過去。心に残りつづけていた罪悪感。 雪が見せた幻は、親父さんの許しだったのかもしれない。償いの為じゃなく、自分の為に生きろという親父さんからのメッセージだったのかもしれない。 勝手な解釈、その真意は誰にもわからない。ただ、今は目的の為に前を向いて歩こう。その為に帰るんだ。 明日が待つ、蛙屋へ―― |
・あとがき どうもご拝読いただきありがとうございます。書き手の朱皇 悠です。 さて、今回はご存知「狐」ことラスのSSだったんですが…いや、ダークです。(苦笑) WWWでは中々出せない過去を書こうと頑張ったんですか、結構凄惨な描写が多くなってしまい苦手な方には申し訳なく思います。いや、個人的には好きなんですけどね。 本来なら雪が降るというのも問題あり…という話を友人から聞いてどうしようかと思ったんですが、冬見舞いに引っ掛けてたせいもあり外せませんでしたね。(笑) それでも、楽しんでいただけたなら幸いに思います。感想、問題、苦情(?)などがありましたらご一報ください。(笑) それではありがとうございました。(一礼) |